ワクワクを生きる!ころころコロッケンロール

ワクワクを生きながら、自分も周りを幸せにしたいなぁと思うしょこたんの「ワタシクリエイト」成長日記。

“面倒くさい”という感情の先にあるもの

先週の土曜はお坊さんの「ありのままの自分」を考えるワークショップのお手伝いをしました〜。

先生は、深いところも話し合える仲間のお坊さん。

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自分が知っている自分、他人が知っている自分を4つの窓(カテゴリ)に分類して理解することで、
主観的に見た自分と客観的に見た自分を知るのに有効な「ジョハリの窓」の手法や、
グループでの対話をたくさん織り交ぜながらの「ありのままの自分」再考。
お坊さんらしいありがたいお話も混ぜ込みつつ。

「問いを持ち帰る」という終わりになって、とても良かったと思う!
答えは自分で掴むのであります。

 

これは自分にとっても学びの大きかった授業で。
0か100かの極端な選択をしやすい自分の中で、そうではないこれからの自分らしい
「選択の仕方」「関わり方」「伝え方」を模索することのできた機会でした。

 

うまくいかなくなってくると自分の中にでてくる「面倒くさい」という感情 w
その中からの選択。
授業中に先生が言ってたように、人が自分を写してくれていると思って途中から関わったら、
飛躍的にスムーズにいくようになったんでしたー
これは、大きな経験だった。

この「面倒くさい」をどう扱うかも、毎回大事にしていきたいなぁ


昔、アーユルヴェーダの蓮村さんが「面倒くさい」という感情についてツイートしてたんですが、こんな感じ。(要約)
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「苦手意識」には2つある。
ほんとうに体質にあってない場合と、自分のダルマ(使命みたいなもの)をなす上で大切なのに過去の経験から苦手だと思い込んでいる場合。
でも「面倒くさい」はまた別。
多くは、大切なことなのに心か身体が疲れている場合か、心が未熟で適切にその活動を行う事ができない場合。
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なんですと。
差がわかりにくいけど、「面倒くさい」の裏にあるのは、本来はできること”。
「面倒くさい」の先にあるのは、“必要な経験”。
昨日の飲みでも、「面倒くさい」というキーワードは現れて(その節はすんませんでしたw)。
そして昨日の会の話も、結果は大きな学びでしたな。