多様性と「あるべきようわ」
先日ソーシャルイノベーションフォーラムにて「機能するコミュニティ」っいうトークセッションを聞いてきました。
たくさんヒットした話はあるんだけど、
NHKの障害者バラエティー「バリバラ」制作者、日比野さんのお話がとーっても興味深く。。。。
多様性を認める社会&コミュニティは「個別性・固有性」をちゃんとみていかないといけない。だから、障害者の「あるがまま」を見せたい、と。
「個別性・固有性」を考える時に参考になるのが、明恵上人の「阿留辺畿夜宇我(あるべきようわ)」という言葉。
河合隼雄先生は、その著作「明恵夢を生きる」で『「あるべきようわ」は、日本人好みの「あるがままに」というのでもなく、また「あるべきように」でもない。時により事により、その時その場において「あるべきようは何か」と問いかけ、その答えを生きようとする』ものであると述べている。
とのお話聞かせてくれました。
もう、とっくの昔に
男だからこうだよねー
女だからこうだよねー
子供だから、高齢者だから、障害者だから、会社員だから、○○だから、
という時代ではなくなっているんですな。
その人自体の固有性。
例えば自分がまだ「会社員」という枠にに閉じ込められて苦しいと感じているんだとしたら、
それは自分が自分を縛ってる「自縛」だとも仰ってました。
自縛w 文字面だけみると変態さんみたいですねw
とはいえ「自分で決めつけてしまった不自由さ」は、よくやってしまいます。
だから、地域でコミュ二ティをつくる時にも、
「コミュニティづくりってこうだから」っていう、どこかの成功例をもっていっても上手く行かない。
「あるべきようわ」で、その土地土地に寄り添うことが求められてるんですなー
WIREDの若林さんがこの辺のお話で放った、
「フレームワークにとびつくのは『一種の思考停止』」という言葉。
それも刺さりました。
これも、本当にそう。
柔軟に、軽やかに、伸びやかに、枠なんか関係なく。そんな多様性。
みんなこの蔦ぐらいぶっちぎってもいいのかも、と思う昨今です。